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京都中也倶楽部
〒604-8211 京都市中京区六角通室町西入玉蔵町121 美濃利ビル508
(有)アペイロン内
電話 075-231-4652
FAX 075-251-2581
E-mail:info@chuya.org |
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中原中也は明治40年(西暦1907年)、山口県吉敷郡大字下宇野令村(現在の山口市湯田温泉)で生まれました。中原家は吉敷毛利の家臣で、中也の祖父・助之は維新後、弟政熊に家督を譲って上京。政熊は湯田に移って湯田医院(後に中原医院)を開き、亡兄助之の娘福を養女とし、小林家の出である陸軍軍医の謙助を女婿として迎えます。謙助はビリオン神父によって受洗、ザビエル記念碑の建設に努力しています。
以上、以下は、主に河出書房新社「文芸読本 中原中也」(昭和53年第七版)の251頁〜、吉田ヒロ生先生の『中原中也年譜』を基に、その他の情報を加えて記したものです。誤り等ございましたら、ご指摘お願い致します。
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年譜 |
明治40年
1907 |
04/29 中原謙助・福夫妻の長男として生まれる
11/03 軍医として父が勤務していた旅順に母と祖母(スエ)と赴く |
明治41年
1908 |
父の転任にともない、山口に
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明治42年
1909 |
父の転任にともない、広島に |
明治43年
1910 |
10月 次男亜郎(つぐろう・通称あろう)誕生 |
明治44年
1911 |
10月 三男恰三(こうぞう)誕生 |
明治45年
1912 |
父の転任にともない、金沢に |
大正2年
1913 |
10月 四男思郎(しろう)誕生 |
大正3年
1914 |
謙助が朝鮮の竜山聯隊部長になったため、母・祖母・弟達と山口に帰国 |
大正4年
1915 |
1月 亜郎病没 |
大正5年
1916 |
7月 五男呉郎(ごろう)誕生 |
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京都時代の年譜 |
大正12年
1923(16歳) |
4月 立命館中学に転校、上京区岡崎西福ノ川に下宿
10月 北区小山上総町に転居
夏休み後、聖護院西町九に転居
11月、丸太町中筋に転居 |
大正13年
1924(17歳) |
4月 長谷川泰子と同棲、大将軍西町椿寺南裏に転居
上京区今出川中筋通へ転居 |
大正14年
1925(18歳) |
2月 寺町今出川一条目下ル中筋角に転居
3月 上京 |
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主な著作など |
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